給料だけじゃわからない!

藤原さんの本は「自分はどうやって生きていこう?」と考えさせる力が強い。
この本も同様。印象に残ったページp155から

意味づけるチカラのある人、ない人

私のダイアリーには一片の古いコピー紙が挟まっている
何年も前に、文庫本のあるページをコピーしたものだ
「あなたの愛をたずさえ、あなたの創造をたずさえて、あなたの孤独のなかへ行きなさい。わが兄弟よ、そうすればのちになって、公正がびっこをひいてあなたを追ってくるだろう。わたしの涙をたずさえて、あなたの孤独のなかに行きなさい。わが兄弟よ。わたしが愛するのは、自分自身を超えて創造しようとし、そのために破滅するものだ。」(「ツァラトゥストラはこう言ったニーチェ著、岩波文庫
誰のようでもない存在になりたいと願いつつ、誰かのようでありたい自分がどこかで足を引っ張っている。
誰のようでもない恐怖に身を引き裂かれそうになることもある。誰かのようであったほうが、カッコいいと思われる先人の例になぞらえて自分のイメージを造っていったほうがらくなことはわかっている。
しかし孤独に何とか負けないように、豊かな人生を歩むことはできないのだろうか。”オリジナルな存在”であり続けながら、信頼できる人間関係や、こころが燃える仕事との関係や、心地よい社会との関係を豊かにはぐくむことはできないだろうか。
私は”意味づけるチカラ”がその鍵を握っていると考えている
自分自身に起こったものごとや人との出会い、あるいは周囲の環境の変化など、世の中という劇場で主人公である自分が遭遇するものたちを、自分との関わりの中で”意味づけ”続けること
これがオリジナルでユニークな”たったひとりの個人”であることの孤独から私たちを守ってくれる処世のコツだと思う。
そこで起こったものごとや出逢った人たちとの間に、ボーッとしていれば気付かない意味を見出すこと。意味づけるチカラが”生きるチカラ”に変わってゆく。
「これには、こういう意味があるはずだ」
と意味づけているのは自分自身なんだけれども、いったん意味づけられたモノやコトやヒトたちはその後、自分の劇場の中では、その意味でもって増殖しながら一人歩きを始める。そうすると逆に人生という舞台の登場人物や大道具小道具や出来事たちが、私という主役の生きる意味づけをも与えてくれる。
私がこの世界に意味を見いだしただけ、この世界に私の存在する意味が見つけられる
私が意味づけた分だけ私が意味づけられる